印刷業など専門性の高いハイエンド向けの複合機を数多くリリースしているOKI(沖電気工業株式会社)。2021年4月1日付で独立分社化していた沖データが、沖電気工業株式会社と統合したことは記憶に新しいと思います。1881年の創業以来、140年もの長い歴史を積み重ねてきたOKI。その前身である明工舎の創設者沖牙太郎氏の足跡を追い、歴史の背景と共にご紹介いたします。
<目次>
・沖牙太郎という技術者の始まり
・アイディアとやる気、明工舎誕生
・顕微音機の開発と独立
・「第一次長期計画」と沖電気株式会社の未来
・先進技術搭載の様々な製品と、ファクシミリの開発
・沖データとしてのあゆみ
沖牙太郎という技術者の始まり
1848年の江戸末期に誕生した沖牙太郎氏は、広島県沼田郡新庄村(現在の広島市西区新庄町)で誕生しました。沖家は多くの人を扱う大農でしたが、将来は大工になると言っていたようです。手に職を付けている技術職の象徴として、大工に憧れていたのかもしれません。また、極めて負けず嫌いで、相撲の際は相手の肩先に食いついて離さなかったという記録もあるとか。事業家としての負けず嫌いな精神と、手に職を持った技術者への憧れが影響し明工舎を作り上げたのでしょう。
1874年、時代は江戸から明治に移り、沖牙太郎氏は27歳で東京の新橋に上京しました。同郷の先輩である、原田隆造氏(工部省電信寮の修技科長)の元、書生として電信寮に通うことになります。電信寮には、電信機を製作する製機所があり、銀細工師(※2)として働いていた沖牙太郎氏は電信機の製造に惹かれていました。沖牙太郎氏の書生としての仕事ぶりや熱心な姿に周囲の推薦を受けることになり、そして沖牙太郎氏は製機所で働くようになったのです。製機所の責任者の一人、ルイス・シェーファーに認められ、2年4ヶ月という異例の速さで昇進した沖牙太郎氏は、旋盤を担当する技工の地位が与えられました。
※1…明治・大正期に、他人の家に住み込みで雑用等を任される学生を意味します。※2…銀製・金製の物を製作する職人及び彫金家のこと。
アイディアとやる気、明工舎誕生
電話機模造に取り組んでいた頃、沖牙太郎氏は中核を担う存在になりました。そして、製機所内に同僚と「ヤルキ社」というグループを結成。ヤルキ(やる気)とエレキ(電気)を合わせた名前でシンプルですが、情熱溢れる若者の集まりだったそうです。
ヤルキ社は、中堅技術者を中心に電気材料の国産化を進める研究グループです。研究を進めていく中で、ヤルキ社のメンバーの若林氏、田岡氏の二人が電信用モールスインキと炭酸紙を製作し、三吉氏は絹巻き線製造機を考案。負けじと沖牙太郎氏は紙製ダニエル電池と漆塗り線を開発しました。沖牙太郎氏が開発した製品はどちらも輸入品抑制に貢献したとして、工部省から表彰されます。これが沖牙太郎氏に自信とやる気を与えました。
顕微音機の開発と独立
当時益々大きくなる製機所では人間関係が複雑化し沖牙太郎氏の意欲を阻害する状況になっていたこともあり、表彰された影響から独立の意志が強くなったそうです。そして1881年(明治14年)、沖牙太郎氏は東京の京橋に明工舎を創業し独立します。この明工舎こそ、現在のOKIの始まりです。そして1889年に沖電機工場と改称し、1912年に沖電気株式会社を設立します。沖牙太郎氏は独立から2ヶ月して、初の国産電話機を開発します。この電話機はエジソン式と同じ原理の電話機で「顕微音機」と名付けられ、博覧会で明治天皇の目に留まるくらいの快挙を達成しました。アイディア豊かであった沖牙太郎氏は、12階建ての塔の最上階と1階に電話を設置、デモンストレーションを行います。明治天皇の侍従が送話器に懐中時計を押し当てると、受話器ではっきりとコチコチと鳴る音を聞き取ったという話があるくらい明瞭に音が聞こえてくることは珍しく、人々に好奇心や関心を与えました。
「第一次長期計画」と沖電気株式会社の未来
顕微音機の開発が目立ちありがたい快挙を達成していた頃、国内通信網の整備という国家目標のもとに、政府は超大型の電話拡張計画を発表しました。1896年から1902年までの7年を期間とする「第一次長期計画」です。これを事業大成のチャンスと捉えた沖牙太郎氏。彼は今までの15年間の技術的、資金的な蓄積をすべて注ぎ込んで、一大工場の建設に取り組みました。そこには、外国資本の新鋭機に、国家の神経網ともいうべき電話を独占されてはならないという思いがありました。そして、沖電気株式会社は最大手の電気通信メーカーとして成長しました。
国内市場における競合は、当時世界最大の電話機製造会社であった、米国のウェスタン・エレクトリック社(現在はノキアが事業継承)のみでした。ところが「第一次長期計画」の最中である1898年、沖牙太郎氏の元にウェスタン・エレクトリック社から資本提携の申し入れがあったのです。彼は熟考しました。その結果沖牙太郎氏はその提携を断ります。彼の「企業は社会の公器であり、国家に忠誠を尽くすもの」という信念と、自身の事業と技術に対する自負心がこの決断を下したのでした。その一方、沖牙太郎氏は自身の健康が損なわれつつあることを実感していました。自分自身が健康でいるうちは問題ないが、その後ウェスタン・エレクトリック社が実権を握った際の、沖電気株式会社の従業員の行く末を気遣う優しさが垣間見えます。
1906年、50歳から患っていた病気により一線を退きましたが、二十数年で電気通信メーカーとして台頭し、「国運発展の大勢に乗じて、自己の運命を開拓せん」という創業の志を果たしました。59歳という年齢で病気で亡くなるまでアイディア溢れる技術者として生き続けました。
沖電気株式会社は1932年にプリンタ技術の原型となる、簡易印刷電信機の試作に成功しています。それ以来、ファクシミリの開発に不可欠なプリンタ技術において独自のノウハウを培ってきたのです。そして1972年、公衆電気通信法が改正され、通信回線が一般企業にまで解放されました。現代では当たり前に使用しているインターネットやメールもない時代の中、記録に残すことができ、郵便よりも素早く情報を共有できるファクシミリはとても画期的だったそうです。
同年11月に「沖データ機器展」でファクシミリのグローバルスタンダードとなるプリンタ技術を世の中に出していきます。発色色素と発色剤を塗った用紙を熱で発色させるという感熱式のプリンタです。OKIのこの新製品は、世の中から大きな注目を集め、特に日本経済新聞社の技術部より直々に開発を依頼されるようになったのです!
この依頼をきっかけに、OKIはファクシミリ開発に集中しました。一般公衆回線で利用できる「電話ファックス」の開発を手掛けるようになります。そして1974年にはアナログ式の「OKIFAX600」を発表しました。そしてファクシミリ競争を繰り広げていた市場の中で、OKIの圧倒的優位を位置付けたのは、「OKIFAX7100」になります。この製品は高速化と画質の向上とコストダウンを徹底追求した結果、前機種と比べて、ファックスを送る時間を6分の1に短縮させ、同じ時間でもより多くの量の作成を容易にできるようにしたので、圧倒的な低価格を実現させました。それまで納品や受注発注を電話を使用していたため、口頭での伝え間違いなどが起きていましたが、「OKIFAX7100」の導入以降は人為的なミスが大幅に減り、正確さが増したと言われています。
沖データとしてのあゆみ
1949年、企業再建整備法により「沖電気株式会社」を解散し、第二会社として「沖電気工業株式会社」を設立しました。その約50年後、1994年にページプリンター(※1)の事業会社として株式会社沖データが設立。事務機器ねっとで取り扱っている各種商品が登場します。
沖データはインパクトプリンター(※2)に強みを持っており、同軸のLEDヘッドを使用したLED方式の電子写真プリンターで評価を得ています。そして、A3ノビ用紙に対応した世界初のプリンター、MICROLINE803PSIIを発売したり、当時世界最小超小型プリンターであったMICROLINE4を発表しました。1990年後半に入り、世の中のオフィスはカラープリンターを多く使用するようになりました。沖データもその流れに乗り、沖データ初のカラープリンターとなるMICROLINE8cを発表します。
そして、事務機器ねっとでもお馴染み、ショールーム訪問させていただいた際にご紹介した、MICROLINE VINCI C941dnが2013年に発売されます。プロフェッショナル市場に向けて開発されたC941dnは、沖データ初めての5色トナーでの印刷を実現しており、特色ホワイト、特色クリアを活かすことで4色だけでは実現できなかった表現を反映することに成功しました。
以上が明工舎を創業した沖牙太郎氏の人生と、OKI(沖電気工業株式会社)の歴史になります。電話から始まり、ファクシミリ、複合機など様々な広がりをOKIは見せています。現在のOKIは「社会の大丈夫をつくっていく」というキャッチコピーを掲げ、社会課題を解決し、一人ひとりの「大丈夫」に貢献する商品・サービスの創出をしており、沖牙太郎氏の情熱・アイディア性を引き継いでいます。
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